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MMOのプレイ日記です。
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 対引きこもり感情。
2008年04月10日 (木) | 編集 |
大学に復帰したので、
これからこういう感じのことのレポートやプレゼンをしなくてはなりません。
自分、心理専攻の人なのです。

ということで、適当に(ほんとに適当に)
一度文章にしてみるということでいろいろ書いていきます。
文句あるならどうぞどうぞ。まだ大学1回生並みの人間なので、
否定するとこは多いと思います。

まず自分が今いる臨床心理を学んでるというところは、
基本こういう感じの人を助けたい人達がたくさんいる。

助けるということに関して、
その助ける方法、療法は、様々なものが確立されており、
またそれらはしっかりとした実証も得ている。

そしてそこに助けられる対象、ここでいう引きこもりがいる。
この人らは、表面的に、また口に出したりして、助けてなんぞ言わないが、
内的には助けを求めていることがほとんどである。

これはまぎれもない事実であるにも関わらず、
何故に助けたいと思う人、助けられたいと思う人、助ける方法
この3つがありながらにしてすべてがつながらないのか。

自分の考えではこうだ。助けたくないモノが存在するからだ。
敢えてモノと表現したのは、これは決して人だけではないといいたい。

たとえば、世の中の常識とでもいおうか。
日常社会が作りだす社会の常識がソレのひとつとなっている。

ニュースでよく耳にするであろう引きこもりによる犯罪。
近年引きこもりによる犯罪が増えている。
あぁ、まぎれもない事実だ。
しかしどうかこう聞こえてしまわないだろうか。

近年、他の犯罪に比べ、引きこもりによる犯罪が増えている。と。
まるで他の人による犯罪は減ってるかのようにすら聞こえる。
その原因は同じ言葉の反復にある。
話題の入りにしても、近年引きこもりによる犯罪が問題となっていますが、
なんてわざわざ長ったらしい言い方をすることがおおい。

さて、この時点で、
我々引きこもりと、一般人の間には感情に差がつく。
引きこもりにはこれと同種という劣等感がつのる。
そして面白いことに、一般人の間にはそれに相対した優越感は生まれない。
そこに生まれるのは嫌悪感である。
せめて優越感であれば、「施し」も期待できるもんなのだが、
そうはいかない仕組みになっているらしい。

この仕組みが作動するにあたって、
なくてはいけないものがある。
それは「枠」だ。
世の中はご丁寧にも、学校や社会という「枠」からはずれたものにまで、
なんと「枠」を用意してくれている。
それが現在の「引きこもり」だ。
一昔前までは社会不適合者なんていわれてたりしたが、
浸透があさかったのだろう、「引きこもり」という分かりやすい言葉が目立つようになった。
この言葉の案は成功し、今では「ヒッキー」なんていう略称まで飛び交うようになった。
そして注目すべきはこの言葉ひとつで大体をニアリーイコールで結べるようにイメージづけたこと。
実際我々は、商店街の無差別殺傷事件なんかを見てみても、
引きこもりによる犯罪とニアリーイコールで結べてしまうだろう。

話はいったん飛んで、
まともな国をつくるとはどういうことなのか。
それはまともな国民だけで構成される国にするということ。
ではまともでない国民はどこにいくのか。
収容されるのである。くさいものにはふたを。
法を犯した罪人は刑務所に収納され、病にかかったものは病院へ。
節度を知らない子供たちは学校へと収納される。
そして精神病患者は精神病院へ。
のこったものがまともな国民である。
この流れの中で新たな枠である「引きこもり」はどこに行くべきか。
精神病患者の延長であるが故に、勿論精神病院の中でもかまわなかったのだが、
はなから自宅等に収容されているものを収容しなおす必要はあるのか。
当然ない。

とりあえず思ったこと書いてみた。
続き考えてたらどんどん話がずれていくのでこのへんで今回はやめ。
やっぱり文献を全く読んでないのがイタイ。
もっと本読まないとなーと反省。
少なくとも半年後にはまともに文章かけるようになってなければ(´ρ` )
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